いち太郎のライフスタイルストリーム

嫌じゃない月曜の朝を迎えるには

MENU

1日300円生活から年収900万円へ

ぼくは20代中盤、1日300円生活を経験した。

サラリーマンを2年やって、どうしてもやりたい事があって、夢を追いかけて、上京して。。。

貧乏生活から5年で、転職を3回。

そして年収900万円となった。

 

 

ぼくの夢とは

インテリアデザイナーになって、いずれ独立したい!

それってめっちゃかっこいい!

と、あまり現実を知らずに、「自分はセンスがある!」という根拠のない自信と、理想の未来を創造して希望に満ち溢れていた。

 

f:id:Ichitarou:20200409004428j:plain

PexelsによるPixabayからの画像

少し回り道

本来インテリアデザイナーの最短距離とは、内装デザインや建築系の学部がある大学に入って、就活してインテリアデザイン事務所に入る事だ。

ただ、ぼくは少しばかりスポーツが出来て高校、大学とスポーツ推薦で進学している。そのころは、完全に勉強しなくても部活していれば大学に入れる!しかも入学金とか免除!

とりあえず、試合には勝つ!ってやってて、全国優勝するが、学校の試験は下から2~5番目。という完全にスポーツバカな振り幅で学校生活を送っていた。

 

そんなスポーツバカも社会人で部活をやるつもりは無く、バカなりにやりたい事(夢)があった。

いざ就活するぞ!

デザイナー職に応募するぞ!

と意気込んで、就職説明会に行くと、、、

「うーん。。。文系の子は営業かな」

「建築、デザイン系の学部でないとエントリーできないよ」

「営業職で入ってデザイン職には移れないなー」

 

と言われ。。。

 

 勉強しなおすことにした!

(ぼくは経営学部だった)

 

とりあえず親からのお金の援助はなかったので、まずは学校に入りなおすための資金作りのために営業職で建材メーカーに就職した。

毎日15時間労働で展示会がある日は土日も出勤。残業代は少々出たので2年で200万円貯められた。

 

誰もが知っている大手企業ではあったが、最初から辞める前提で入った為、未練はなかった。

余談だが、辞める前提ではあったが、「こいつ仕事が出来なくて辞めるんだな」と思われるのが嫌だったので、仕事は一生懸命した!

同期の中では売り上げは良かったし、辞める時めっちゃ止められたのはちょっと優越感があった。

 

とりあえず、次に進みたかったので「200万円あればなんとかなる!」という根拠のない試算でスパッと辞めた。

(辞めた時の話は前回の記事にちらっと書いてます)

 

親父の助言

親父は金は出さなかったが、金の扱い方は教えてくれた。

今回サラリーマン時代に2年で200万円貯められたのは、親父のおかげでもある。金は出さなかったが。

 

別に事あるごとに、金言をくれたわけではなく。

一言。

 

 

「おい、家計簿をつけろ」

 

 

と。

 

 

ぼくがどう家計簿をつけたかはまた書くとして、これをしたから早めに第一次サラリーマン時代を抜けられたと思う。

また、家計簿をつける習慣はこの後も続いており、各段階ごとにぼくを助け、今は財産構築に役立っている。

 

f:id:Ichitarou:20200409004807j:plain

Pete LinforthによるPixabayからの画像

1日300円時代の到来

夢はインテリアデザイナーになる事。

無計画で上京したつもりは無かった。

サラリーマン時代に頑張って貯めた200万円を握りしめて、うきうきしながら池袋に家を借りた。

デザイナーらしくiMacを買った。

専門学校に入るべく、入学金を払った。

教材を言われるがままに購入した。

 

あれ?お金なくなった。。。

想定が甘かった。

初期費用はなんとかなったけど、生活ができなくなった。。。

 

東京でインテリアデザイナーになって、おしゃれなオフィスでTシャツ短パンで、首にストールでも巻いて、スタバで仕事して。。。

そんな夢をかなえる為の学校生活も素敵でおしゃれな毎日が待っていると思っていたが、それは幻想となった。

 

とりあえず家賃を払うためにバイトに励みながら、課題をこなす日々。

1日の生活費は使えて300円。

ご飯は毎日バイト先のカレー屋でもらったカレーや、スーパーの半額になったお惣菜を食べた。

 

続く300円生活

学校の卒業間近になり、就職先を探し始めた。

ただ、その頃のぼくは300円生活が続いており、学校の課題も重なって心身共に憔悴し、就職活動までたどり着けてなかった。

そんな時に、オープンデスクでお世話になったデザイン事務所に「うちに来ない」とオファーを受けた。

 

 

ラッキー!!

 

 

と思った。

のもつかの間だった。。。

 

給料も何も聞かずに入社手続きをした。

ついにデザイナーになれるとテンションが上がって。

事務所の場所も代官山。

 

これはモテそうだ(←目的がぶれてきている)

 

まず名刺をもらった。

 

アシスタントと書かれている。

 

ダサい。。。

 

朝は遅いが、夜も遅い。終電でも帰れない。

 

上司が職人肌でそこそこ怒られる。

 

やっと給料入った!

 

 

 

11万円。。。

 

 

あれ?

 

まじ?

 

ということで、勇気を振り絞って上司に確認。

 

「一人前になるまでは勉強代があるからなー」

 

体育会系で素直で気が弱い(当時)ぼくは

 

「分かりました!」「そうですよね!」

と、後輩のお手本のような回答を反射的に繰り出した。

 

 

癖って怖い(後輩気質)

 

300円生活続行決定。

 

そんなデザイン事務所時代

そんな貧乏ど真ん中のデザイン事務所生活だったが、デザイナーとしてのスキルアップはガンガンできた。

 

ぼくが付いたのは、めっちゃ厳しい師匠でまじで修行の日々だったけど、この経験は今効いている。給料安すぎるぼくを気遣って、ご飯とか悪い遊びにいっぱい連れてってくれた。

 

給料を決めているのは社長。

仕事は面白かったが、労働時間が長すぎたのと、社会保障がなさすぎるのと、経営が傾いていることが手に取って分かったので、師匠には悪かったが退社(師匠には今もお世話になっている)

 

デザイン事務所の性質と中小企業の内情が浅くも分かったのと、もう未来が無い事を悟ったので1年半で退社した。

結局、最後までアシスタント(笑)で、経験はまだまだ。

でも、スパルタ教育のおかげで、ある程度の専門スキルが付いたので、自分をブランディングしなおす(リセット)為にも新たなデザイン事務所を探した。。。

 

 

 理想の人生と年収の狭間で

f:id:Ichitarou:20200410005539j:plain

Arek SochaによるPixabayからの画像

漠然とお金持ちになりたい願望はあった。

上京して2年半。

課題とバイトに追われた専門学生時代から、

今でいうクソブラックデザイン事務所で1日300円生活をしてきた。

 

やりがいはあったが、働く環境的にもデザインという仕事が嫌いになりかけていた。

職人気質で下積みを重んじる風潮と、後輩が入っても1か月で辞めていく。そんな環境で働いている自分は、思い描いた自分ではない。

 

もっと認められてもいいだろ。

という、また根拠のない自信で転職(人生のリセット)に踏み切った。

 

漠然とお金持ちになりたい願望はあった。

おそらく人並みに。

それよりもぼくには理想のライフスタイルがあった。

 

理想のライフスタイルとは

好きなこと(この時はインテリアデザイナー)を仕事にし、自分の会社を持って、人とのつながりの中で仕事をする。

少し会社に余裕が出てきたらカフェを出店して、自分の思い通りの店を造る。

趣味も多く持って、休日には海でサーフィン。カリフォルニアテイストの自宅に帰ったらこだわりのコーヒーマシンで入れたコーヒー片手に愛犬とベランダで読書。。。

語りだすときりがない。。。

 

そんな、どっかのライフスタイルマガジン的な生活を夢見ていたが、もう挫折しかかっている。

 

好きなことを仕事にするところまでは来たのだが、今のところそれ以降が全く想像つかない!

 

家はボロボロで夏はゴキブリだらけで、冬は外より寒くて、玄関のドアはトイレの個室のドアみたいなのがついているだけ。自販機でコーヒーを買うのも10分は悩む(なんせそれで1日の生活費の3分の1が消えてしまう。。。笑)

 

これは健康ではない!

とりあえず、この負の連鎖を打開しなければ!

 

ということで、自分をリブランドすることを決めた。

 

人並みの生活がしたい!

ここで本当のデザイン気質の人や、その方面において超意識高い系の人は、それでも有名デザイン事務所に入ろうとしたり、大手のデザイン会社を目的にするかもしれない。

 

ただ、そうすると下積み生活がまた始まるだけで、僕のなかではそれはもう無しだ。

そこはもう飛ばしたい。

 

デザインもしたいけど、お金も欲しいんや!

もうだまされへんで!

デザイナーは下積みが基本で勉強代があるとか知るか!

 

300円生活はもう嫌や。

心が豊かで余裕が無いと良い仕事は出来ない。

そういう面でも生活の充実が、最も重要だ。

 

自分をプロデュース

f:id:Ichitarou:20200410005828j:plain

Free-PhotosによるPixabayからの画像

ということで、こんな事を考えた。

大手企業、超弱小事務所を経験して次に行くべき会社は「こうあるべき」ということを。理想の自分から遠ざかりかけたものを引き寄せるために、リセットできる環境を探した。

 

2回目のリセット

転職は自分のポジション、給料、生活を変えられるチャンスである。

このチャンスをしっかりものにするために、できる限りの調査と自分の譲れない条件をぶらさない事が重要となる。

 

①デザインも出来て、お金ももらえる。

⇒ぼくにとって、これは必須。ちゃんとご褒美がないとモチベーションが上がらない。

 

②デザイン業界に入って2年そこそこでも仕事をバンバン任してくれる。

⇒とにかく多くの経験がしたかった。アシスタントではだめ。責任感が大事。

 今後役に立つ、多岐に渡るクライアントとの繋がりを作れる。

 

③主張が出来、自分の役割が明確になりそうなとこ。

⇒ポジションを確立する。自分がブランディングされる。

 

一応まだデザインの道をあきらめて無かったから、デザインが軸にあるがこれはどの業界の転職でも共通して意識して方がよいことだと思う。

しっかり業界の事を調べて、色んな人に話聞いて、実際に面接に行って、その辺りを経営者や役員がどんなことを考えているのかを探った。

 

また、この時は専門書籍や自己啓発本も読んでみたが、いくつか読んでるうちにとにかく、言っていることが似通ってきていることに気づき、一瞬のモチベーションアップにもならなくなって読むのをやめた。

 

ものにする

そんなこんなで、理想に近い会社が見つかったので、本当にそこが良いかめっちゃ自問自答を繰り返してみた。

そして、理想に近づくために。その会社に入るために。

出てくる不安要素を一つずつ潰していった。

 

 ・自分の強みを知り、そこを存分にアピールする

  ⇒結果も大事だが何が出来るかが重要。

 

 ・コミュニケーション能力の提示

  ⇒新しい環境への順応。取引先との円満な関係構築。

 

 ・こいつ、隣に置いて仕事してみたいやつだな。と思わせる

  ⇒パシリという意味ではない。自分の意見を持つ。解釈が広く深い。

 

面接ではこの辺をいかにアピることが大事かと。

当然、経歴詐称はダメ、絶対。あとでばれるし、ばれた時の評価の落ち方が半端じゃない。ある程度身の丈にあったことを言おう。それでも、しっかり調べて考えて取り組めばうまくいくはずだ。

 

3社目。26歳の春より

f:id:Ichitarou:20200410010506j:plain

Free-PhotosによるPixabayからの画像

努力の結果、目的の会社に転職できた。

ある程度思い描いていた仕事ができ、1年目が終わる。

 

1年目の年収は...

まだ1年目だが、多くの実績と人のつながりが出来、その分労働時間的にはまた1日15,6時間は働いていたけど、充実した日々が送れるようになった。

(名刺の肩書もデザイナーになった。笑)

 

そして、年収は450万円になった。

(契約時の400万円から査定アップ!)

大卒、同年代の普通のサラリーマンくらいの年収にはなったか。

 

デザイン業界のこの年代の平均年収が250万円とか300万円とかみたいなのでもらったほうか。

 

1日300円生活の時は年収180万円くらいのリアルワーキングプアーだったから、よくあがったもんだ。涙

ほぼ同スキルで、転職(リセット+リブランド)したことで年収が2倍以上になった!

 

とは言っても、一般大卒の同年代の平均年収くらいになったまでだ。業界としては良い方だと思う(時給に換算するとクソだが。。。笑)

とりあえず、ここまで来たかという感じ。

 

4年間の推移

この間、仕事受注量のアップ、新規クライアントの開拓など、普通のデザイナーに収まらない働きをして、思ってもみなかった「プロデューサー」という肩書を拝命した。

 

これが心地よいポジションだった。

そのせいで次の転職を考えるようになったのは、この会社に入社して3年が経った頃だった。

 

続きは次回とするが、この4年間の年収推移はこちら。

 

1年目 450万円

2年目 470万円

3年目 520万円

4年目 650万円

 

4年目で年収が100万円以上上がったのは、勤続3年半の時に会社を辞めたいと言ったところ、ボーナスを100万円上乗せして引き止めてくれた。

なんせ、その頃はぼくの担当でのデザインフィーが年間1憶円を超えていたから。。。

更に駄々を捏ねたら、2か月の有給休暇をくれたので海外放浪の旅に出た。

 

まぁ1人がそこまで売り上げても、給料が安すぎたのはデザイン事務所の体質のせいだ。その頃にはもうぼくの独立欲はなくなっており。。。

30歳になるタイミングで次の事を考えだした。

 

3回目の動機

f:id:Ichitarou:20200411001948j:plain

PexelsによるPixabayからの画像

デザイン事務所で年収650万円まで来た。

仕事は大変だが、やりがいはあって結果も出てきた。

でもなんか違った。

違うと思ってきた。

 

それはなんだ?

 

30歳を目前にして、今の自分は自分自身が満足している自分か?

そろそろ結婚もしたいし、子供も欲しい。1日の3分の2を仕事に費やしてきた人生をふと見つめなおした。

 

現れた不満

「おれ、毎日通常の人の2倍の時間働いてるやん」

社会人になって7年間、朝出社して基本は終電まで働く。

能力が無い。要領が悪いと言われればそれまでだが、やりたい事、やった方がよさそうな事はやらないと気が済まず、休みも年に30日くらいしか取ってなかった。

 

7年間の社会人人生だが、定時勤務が8時間とすれば、毎日15,6時間働いていたぼくは、普通の労働者でいうとすでに14年働いた計算になる。

年収は上がったが、見合わず。業界の限界も感じ、仕事は面白くはあったが、これでよいのかと思う時間が増えてきた。

 

好意にしてくれるクライアントは何社かあったが、独立して引っ張る気も無かったし、自分自身で新たに開拓するガツガツ感も起こらなかった為、4年前同様で自分を見直す期間に入った。

 

プロデュースしたいなら

ぼくはプロデューサーという肩書で仕事をしていたけど、所詮、いちデザイン事務所のプロデューサーというのは権限はそれほど無い。クライアントの要望をいかに解釈して、気に入られる答えを出す作業が基本だ。どんなに自分が「こっちの方が良い!」と思ってもクライアントの意向や好みにそぐわなければ、没案となる。

 

自分の提案に喜んでもらい、それが上手く行けばさらに評価される。そこにやりがいは感じていたのだが、自分を殺して(いやいやで?)提案した仕事もやっぱりあって、そういう時は勝手にやるせなさを感じる。仕方ないことだが、受注者側のため、お金、成果物の納期でいろいろ無理を言われる。

 

金曜の夕方に月曜の朝の会議で使いたいからこんな資料作って!なり

正月休みの直前に、正月明けまでに欲しいと、人権を無視(大げさ)した要望をいっぱい受けてきた。

 

でも、ちゃんとこなしてきたんだよね。

良く思われたいから。

ぼくは便利な奴だった。

 

こんなスタンスを続けていたから、当然休みは無かった。。。

彼女が出来ても、仕事のスタンスは変えず、土曜の夜まで日曜日が休めるか分からない状態(その頃は、それが我慢出来ないなら振られてもいっか!って思ってた)

 

でも、それだけじゃ人生を無駄にしていると思い始めた。

これはまたリセットが必要だ!

 

よし!今度は発注者側になろう!

プロデュース業は捨てがたいから、そっち方面で。

スキルを蓄えてきたインテリアデザイン関係で。

なおかつ、数年前に思い描いていたライフスタイルを実現するために!笑

 

転職のプロと理想に近づく

f:id:Ichitarou:20200411002237j:plain

Alexsander-777によるPixabayからの画像

前回(2回目)の転職は自分でリサーチし、自分の考えのみを信じて実行した。ただ、今回の転職はエージェントにお世話になる事にした。

というか、はじめは話しだけ聞いて、自分に引っかかるものがあったら取り入れよう。

と、その程度の気持ちで面談に伺った。

 

ありがとう。エージェント

頼る事にした一番の理由は、エージェントに相談することにより、その人の能力がどうかは置いておくにして、優良条件の話しを先行してもらえる事にあった。

良い不動産は市場に出る前に売れてしまうイメージ。

 

これは、やり取りが面倒でも優良物件が見れるならお願いするしかない!

そう思った。

 

また、あとで分かったがエージェントによってはナイスアシストをしてくれ、就職に完全に有利に働くことがある。

例えば、推薦文を作ってくれたり、採用の状況を逐一教えてくれて、次にどう対応した方が良いかを、その会社に転職できた人の過去の実績を元に提案してくれる。

また、場合によっては先行期間中に希望先の会社に自分の評判を聞いてくれることもある。

(まぁ、転職エージェントは成果報酬型のため担当した人に、入社してもらわないと成績にならないから。。。)

 

どちらにしても、一生懸命やってくれるのはありがたい。

今の会社に入った後に採用担当の人に聞いた話だが、僕を含めて最後3人まで候補者を絞っていたようだが、決め手に欠けていたところをエージェントの書いた推薦文によって最終的に採用を決めたということだった。

ありがたい。。。

 

確かに、エージェントの人とは良く話をした。お互いに腹を割って話した。メールのやり取りも頻繁にした。業界動向もよく調べてくれ、客観的にぼくの評価もしてくれた。

 

入社面接は多くても1,2時間。

エージェントとのやり取りは無限大(言い過ぎ)

 

エージェントがぼくの事をよく理解してくれた結果の転職となった。

 

4社目の春

また完全体のサラリーマンとなった。

2社目、3社目は半そで短パンでOK(サンダルだけはNG笑)だった為、雇用状態的にはサラリーマンではあったが、ぼくにその意識はなかった。

 

今回の会社はスーツにネクタイ。しっかりとした社内構造がある歴史のある大手企業だ。この会社は新卒は取らない。みんな中途採用。

ぼくの待遇は管理職で専門職で転勤無しだが住宅手当支給。ボーナス3回。

 

仕事内容は出店する店舗のプロデュースやディレクション業。

 

とりあえず1年目の年収は720万円。

転職により前職から70万円のアップを実現した。

1年目は社内で自分をブランディングすることに尽力した。

要するに、「こういう人」「頼れる人」「気になる人」になる事を意識してコミュニケーションをとった。

 

理想に近づく

年収は上がった。

それに伴って当然実生活も改善した。

残業は平均で月150時間くらいだったが20時間程度に減少。

福利厚生も充実。残業が減った分、飲みに行く回数も増えて、休みの年間130日程。

彼女も出来て、結婚して、子供も出来て、家も建てる。。。

 

今まで思いもしていないスピードで一気に生活のステージが変わった。

 

3回目の転職も、自分のリセットに成功した。

 

派手じゃない、小成り上がり

f:id:Ichitarou:20200411002405j:plain

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

書いていて思う。そんな人に聞いてもらうほどの内容でもないな。と。

でも、ちゃんと仕事と向き合って、しっかり自分の人生を考えることができれば、この程度には到達できるということだ。

 

自己啓発は必要か?

ぼくは自己啓発が嫌いだ。だれかの家に行って自己啓発本が本棚にあったら、「こいつは痛いやつだな」と思ってしまう。

もしかしたら、このブログも自己啓発ものと思う人もいるかもしれないが、あくまで、ぼく自身が自己啓発が嫌いというだけだ。

 

その時その時で理想の自分に近づくために、よく考える。

 

自分はどうなりたいか。

どうすれば楽しく過ごせるか。

楽しく暮らすためには、環境とお金だ。

 

今、自分は良い環境にあって、十分なお金を稼いでいるだろうか。

 

そうじゃなければ行動して方が良い。

あくまでも、現状が不満であれば。

 

行動するためのキッカケとしての自己啓発は良いと思う。

ただ、本やテレビで聞いたことキッカケでしっかり動けるのか?

自分の底から湧き上がってくる感情を、大切に行動できるのが理想だ。

 

それで今の年収は?

1年目は720万円

2年目は820万円

3年目は900万円ちょっと

 

ステップアップは1段ずつでも数段飛ばしでも良いと思う。

3回転職してきた中で、社内、社外での付き合い方も洗練されてきた。

 

とりあえず33歳で900万円まできた。

当然だがここまで来るには失敗もたくさんした。

今回は、長くなるため掘り下げないが、追って書いていく。

 

次のステップも漠然と見えてきているが、まだ考え足りない。

今はまだ転職欲は無いけど、またリセットやステップアップしたくなったら実行に移すことにする。

 

 終わり